なにやら世間が騒がしい1か月でした。良くも悪くも学生時代に山川出版社の教科書で読んだ100年ほど前(20世紀初頭から昭和初期)のような空気感でちょっとなぁ、と思いつつ、まさに息をつく暇もなく色々なことが起きていますが、それはそれとして自分の持ち場を守ってなすべきことを粛々となすのが大事、と考えています。いまさらですが。こういうときはスポーツやエンタテインメントの力で目に見えないブーストをかけるのも手ではありまして(これは世の中も、個人も)奇しくも突然世界的に「ポケモンGO」が爆発的にヒットしたり、もうすぐリオデジャネイロ五輪で何かのドラマが生まれるような気がします。(スポーツの政治利用って話になるとロシアのドーピング問題や、戦前のベルリン五輪による士気高揚等、きな臭い話になるのでちょっと置いておきましょう) 文字通り血のにじむような努力を長年継続することは凡人には難しい(まぁせいぜいそこそこの努力とそこそこの成果どまりですよね)ので、アスリートに勝手に思い入れを乗せて、ごちゃごちゃと応援したり批判したりするのは世の常ですが、自分自身、純真無垢?で無限の可能性を無根拠に信じていた子供の頃は、なんで世の中そんなにスポーツだとかエンタテインメントだとかにそこまでの価値を見出すのかわからなかったんですが、おっさんの階段を上るにつれ、その価値を痛感しています。精神的エネルギー政策。そりゃ旧共産圏諸国が選手育成に血道を上げるわけだ。国家の産業育成や軍事力拡大に必要な手間暇に比べると「お手軽に」国民意識の高揚ができるもんなぁ。またきな臭い話ですが。人類社会を前進させるのはテクノロジーと教育(この二つは文字通り、IT&ネットワーク技術の発展で劇的に安価になりましたね)とスポーツ・エンタテインメントかもな、とあらためて感じています。この項、つづく。